無意識に選択しているワケで・・・

今日はつらつらと思ったままに綴ります。


人は無意識のウチに「自分に必要だ」
と感じたものだけを記憶しているといいます。
自分で『取捨選択』しているというワケですね。


それはそうですよね。
じっとしていても世の中のありとあらゆる情報は
否応無しに私達の目にとまり、耳に音声となって聞こえてきますから、
常に何かを選んでいなければ人は行動できなくなりますし、生きては行けません。


パソコンや携帯などの情報ツール、伝達ツールが発達した今の日本でも、
(※ツールとは?→ 手段、道具)
世間に溢れる情報量たるや半端ではなく、
もし仮に世の中で起こること全てを記憶できる脳を持っているとしたら・・・
どんな世界が待っているのでしょう。


人間が無意識に自分の人生を選んでいるとしたら、
まず関わってくるのは「人間の五感」と考えます。
嗅覚、味覚、触覚、視覚、聴覚の五つの感覚が
強い刺激を受けたものに対して意識が執着するのではないか?と思うに至ります。


だとしたら、自分の五感がフルに感動するほど強い影響力のある体験をする事が、
いかに大切だということが分かってきます。
また、そういう体験に出逢うことで、自分の人生がガラリと変わることもあるでしょう。

ならば、何処に行けば、自分の感性が影響される体験が出来るのか?
それを弾き出すためには、
今度は「豊富な知識量」が必要となってきます。
また、「知識を必要と感じる感性」も必要となってきます。
あらゆる分野の知識を持ち、自分が興味があるなしを分かっていなければ、
自分が行動を起こすための理由や目標が見つからないからです。


それを形成するのが、小、中、高校の学生時代に通った学校です。
学校で得る知識は社会では必要ないという人がいます。
とんでもない!必要なものばかりです。


▼国語、古典・・・必要です。単語や文、文の形態などを学習することで、
自分の心の中の思いを表現できる「言葉」を学習することが出来ます。
また、表現することが如何に大切かを学べます。そして、「言葉」を話せ
ることの有り難味が分かり、人の心を推し量れる想像力が身に付くように
なります。


▼算数、数学・・・必要です。世の中にある人間が創り上げたありとあら
ゆる建築物は数式によって創られています。人々は、緻密な計算によって
動いているのです。数がなければ、時計も、列車のダイヤも、飲み物や食
べ物のパッケージも作れません。物質界に「数字」はなくてはならないも
のなのです。


▼社会、地理、歴史、公民・・・必要です。歴史を知らなければ、なぜ今
自分が生かされているのか、なぜ今自分が平和に日本に暮らせているのか
が分かりません。先祖の方々の苦労があったからこそ現在がある。人の歴
史を知らない人は、人が生きていることの有り難味が分からないまま育つ
でしょう。地理を学べば、各土地の地形や地形に沿った人々の暮らし方が
それぞれ違うのが分かります。世界は予想もつかないほどの広さだという
ことが認識できます。公民を学べば、人間が「社会」を作る生き物だとい
うことが分かります。


▼理科、科学、物理・・・必要です。薬やワクチンの開発などの科学の進
歩によって、人類は延命する術を学び、長く生きることを覚えました。人
間が遺伝子からの命令によって人類繁栄を施し、生かされていることも知
りました。また、人間以外の生き物を調べることによって、地球は人間の
ためだけにあるものではなく、動物や植物の食物連鎖で保たれているとい
うことも知ります。

※地球は人間のことなど考えてはいません。「地球のため」にエコという
言葉も間違いがあります。「人間のため」に人はエコを推奨するのです。
エコロジーは人間が生き延びるために搾り出した最後のあがきなのです。


▼英語・・・必要です。パソコンの世界も実に8割が英語だといいます。
英語をマスターすれば、世界のありとあらゆる情報が手に入るとも言われて
います。また、英語に限らず、外国語を学ぶことで、日本以外の外国の文化
や感性が分かります。

※今、アメリカでは、スペインからの移民が急激に増え、大統領戦もスペイ
ン語を学ばなければ当選しないとまで言われています。



学校の知識は必要ないといった逃げから楽をすることばかりの考えに浸っていると、
物事を学んだり捉えたりする忍耐力を学べないので、
外の世界は怖い、傷つく、だから嫌、自分が生きている実感が湧かない、
自分にいいところはひつともない、自分に得意なものがない、
といった極端に偏った思い込みをしがちになります。
そして、その思い込みから外れた自分の姿が想像出来なくなります。
なぜなら、自己流の「思い込み」をしていればとても楽だからです。
楽を知れば、楽から離れることへの恐怖心が先に立ち、
外へと踏み出す勇気が持てなくなります。
結果、知識の無さからくる狭い範囲からの「思い込み」が、
未知の世界へと行動を移すための第一歩にブレーキを掛けてしまうのです。



環境に恵まれ過ぎていることも、外に踏み出せない原因でもありますが、
知識を片手に五感が感動するような体験を自らススンで経験しなければ、
社会人としての教養が身に付きません。
自分でしなければならない取捨選択も、どこか人任せになり、
「自分で自分の人生を選ばない事の重大さ」
を知らないまま歳をとってしまいます。


得ることよりも、捨てる事の多さ
を考えれば、自分の人生にとって悔いのない取捨選択をするためには、
間違った思い込みをなくし、柔軟な考えを持つことが大切なのかもしれませんね。
愛すべき怪獣(子)を育てているから余計にそう思う今日この頃です。